徳川将軍知名度ランキング
このサイトにある「歴代徳川将軍クイズ」の回答結果から、歴代徳川将軍の知名度をランキングにしてみました。
ランキングはクイズの結果に応じてリアルタイムで変動します。
順位 | 標識 | 名称 | 没年齢 | 正答率 |
---|---|---|---|---|
1位 | 徳川 家康(いえやす) | 1代将軍 | 75歳 | 81.5% |
2位 | 徳川 家光(いえみつ) | 3代将軍 | 48歳 | 64.1% |
3位 | 徳川 秀忠(ひでただ) | 2代将軍 | 54歳 | 63.0% |
4位 | 徳川 綱吉(つなよし) | 5代将軍 | 64歳 | 57.7% |
5位 | 徳川 吉宗(よしむね) | 8代将軍 | 68歳 | 52.6% |
6位 | 徳川 家綱(いえつな) | 4代将軍 | 40歳 | 51.4% |
7位 | 徳川 慶喜(よしのぶ) | 15代将軍 | 77歳 | 50.1% |
8位 | 徳川 家宣(いえのぶ) | 6代将軍 | 51歳 | 42.3% |
9位 | 徳川 家継(いえつぐ) | 7代将軍 | 8歳 | 42.0% |
10位 | 徳川 家茂(いえもち) | 14代将軍 | 21歳 | 41.9% |
11位 | 徳川 家重(いえしげ) | 9代将軍 | 51歳 | 39.2% |
12位 | 徳川 家斉(いえなり) | 11代将軍 | 69歳 | 38.8% |
13位 | 徳川 家治(いえはる) | 10代将軍 | 50歳 | 37.9% |
14位 | 徳川 家定(いえさだ) | 13代将軍 | 35歳 | 37.7% |
15位 | 徳川 家慶(いえよし) | 12代将軍 | 61歳 | 35.1% |
徳川幕府の創始者の「家康」がぶっちぎりで1位ですね。
二代秀忠よりも三代家光の方が有名と言う、秀忠涙目の結果になっています。
暴れん坊将軍で有名な八代将軍吉宗が続くと思いきや、4位に五代将軍の綱吉がランクイン。
生類憐みの令の力でしょうかね。
そのあとは最後の将軍慶喜が入りまして、あまり有名でない将軍が続き、一番正答率が低いのが十二代将軍の家慶となりました。
※2020年9月現在
徳川将軍の名前を答えるクイズはこちら
ランキングのもとになっている徳川幕府の歴代将軍を答えるクイズはこちらです。
歴代徳川将軍を紹介します
ランキングの発表は終わったのですが、せっかくなので徳川将軍を紹介したいと思います。
初代将軍 徳川家康 1位 81.5%
家康のやったことと主な出来事
- 1603年
- 征夷大将軍就任 徳川幕府創設
- 1605年
- 征夷大将軍退任し秀忠に譲る
- 1614年
- 大阪冬の陣
- 1615年
- 大阪夏の陣
- 1615年
- 一国一城令を発布
- 1615年
- 武家諸法度、禁中並公家諸法度制定
- 1616年
- 死去 享年75歳
徳川幕府の創始者で、徳川将軍の中でも一番有名。
戦乱の時代を終わらせ、その後270年続く徳川政権を築いた。
二代将軍 徳川秀忠 3位 63.0%
秀忠のやったことと主な出来事
- 1605年
- 征夷大将軍就任
- 1615年
- 武家諸法度、禁中並公家諸法度制定
- 1620年
- 五女の和子を後水尾天皇へ嫁がせる
- 1632年
- 死去 享年54歳
徳川家康から征夷大将軍を引き継ぎ、これにより征夷大将軍は徳川家の世襲性であることを決定づけた。
三代将軍 徳川家光 2位 64.1%
家光のやったことと主な出来事
- 1623年
- 征夷大将軍就任
- 1635年
- 参勤交代制定
- 1637年
- 島原の乱
- 1639年
- 鎖国を完成
- 1651年
- 死去 享年48歳
外様大名の勢力を削ぐ目的で参勤交代を行い、徳川政権の反乱分子になりえるキリスト教の禁止(島原の乱が決定的とも言われている)などの理由から鎖国を完成させる。
四代将軍 徳川家綱 6位 51.4%
家綱のやったことと主な出来事
- 1651年
- 征夷大将軍就任
- 1651年
- 末期養子禁止の緩和
- 1663年
- 殉死の禁止
- 1665年
- 諸宗寺院法度、諸社禰宜神主法度制定
- 1680年
- 死去 享年40歳
徳川幕府も4代続き、戦もほとんどなくなり、武による政治から、法律や学問を重視する文治政治への転換期となった。
五代将軍 徳川綱吉 4位 57.7%
綱吉のやったことと主な出来事
- 1680年
- 征夷大将軍就任
- 1687年
- 生類憐みの令制定
- 1690年
- 湯島聖堂完成
- 1695年
- 金銀貨幣を改鋳(元禄金銀)
- 1709年
- 死去 享年64歳
悪法と名高い生類憐みの令だが、命の大切さを説き、綱吉以前と以後で倫理観に大きな影響を与えた法である、との再評価もされている。人と時代によって評価が大きく異なる将軍。
六代将軍 徳川家宣 8位 42.3%
家宣のやったことと主な出来事
- 1709年
- 征夷大将軍就任
- 1709年
- 生類憐みの令廃止
- 1709年
- 宝永通宝の流通、酒税を廃止
- 1712年
- 死去 享年51歳
先代の綱吉に生類憐みの令の継続を託されたが、「生類憐れみの禁令に触れ罪に落ちた者は数知れない。私は天下万民のためにあえて遺命に背くこととする」とのこと。
七代将軍 徳川家継 9位 42.0%
家継のやったことと主な出来事
- 1713年
- 征夷大将軍就任
- 1714年
- 絵島・生島事件
- 1715年
- 海舶互市新例 発布
- 1716年
- 死去 享年8歳
史上最年少(3歳)で征夷大将軍に就任するも、8歳(満年齢で言えば6歳)で死去。政務は当然のことながら側近の間部詮房と新井白石の2名が主導していた。
八代将軍 徳川吉宗 5位 52.6%
吉宗のやったことと主な出来事
- 1716年
- 征夷大将軍就任
- 1720年
- 江戸町火消しいろは四十八組設置
- 1721年
- 目安箱の設置
- 1722年
- 上米(あげまい)の制、定免(じょうめん)法 制定
- 1722年
- 小石川養生所設置
- 1723年
- 足高の制 導入
- 1725年
- 口米永代蔵令
- 1728年
- 五公五民制の導入
- 1735年
- 田方勝手作仕法
- 1736年
- 元文金銀の鋳造
- 1742年
- 公事方御定書制定
- 1745年
- 将軍職を家重に譲り 大御所に
- 1751年
- 死去 享年68歳
徳川中興の祖と名高い吉宗。質素倹約に励み幕府の財政状況の改善を行い、庶民の味方と称される反面、税金の値上げや米相場の介入などを行う。
九代将軍 徳川家重 11位 39.2%
家重のやったことと主な出来事
- 1745年
- 征夷大将軍就任
- 1754年
- 郡上一揆
- 1754年
- 木曽三川の治水事業を薩摩藩に命じる
- 1758年
- 宝暦事件
- 1760年
- 将軍職を家治に譲り 大御所に
- 1761年
- 死去 享年51歳
言語不明瞭だった家重の言葉を理解できたのは側近の大岡忠光ただ一人。その忠光が死去すると家重は将軍職を辞任する。
十代将軍 徳川家治 13位 37.9%
家治のやったことと主な出来事
- 1760年
- 征夷大将軍就任
- 1772年
- 南鐐二朱銀の導入
- 1782年
- 印旛沼・手賀沼 干拓開始
- 1785年
- 蝦夷地開発
- 1786年
- 死去 享年50歳
吉宗から聡明と評され、その手腕が期待された家治だったが、幕政は有能な側近に任せ、趣味に没頭する日々を送った。これを無能と評すか有能と評すかで評価が分かれる。
十一代将軍 徳川家斉 12位 38.8%
家斉のやったことと主な出来事
- 1787年
- 征夷大将軍就任
- 1789年
- 尊号一件(尊号事件)
- 1790年
- 寛政異学の禁 発令
- 1805年
- 関東取締出役 設置
- 1806年
- 薪水給与令(しんすいきゅうよれい) 発布
- 1808年
- フェートン号事件
- 1825年
- 異国船打払令 発布
- 1837年
- 大塩平八郎の乱
- 1837年
- 将軍職を家慶に譲り 大御所に
- 1841年
- 死去 享年69歳
幕政は側近に任せ、跡取りを残すことに励んだ。財政状況をかえりみず、贅沢に過ごしたせいで幕府は財務破綻に向かうが、その贅沢な暮らしが「化政文化」を生んだとも言われている。
十二代将軍 徳川家慶 15位 35.1%
家慶のやったことと主な出来事
- 1837年
- 征夷大将軍就任
- 1842年
- 天保の薪水給与令 発令
- 1843年
- 人返しの法 発令
- 1853年
- 黒船来航
- 1853年
- 死去 享年61歳
先代の家斉の散財から倹約令を出すが天保の改革は失敗。海外からの脅威は日増しに増していく中、浦和に黒船に乗ったペリーが現れ(6月3日)、その19日後(6月22日)に死去。
十三代将軍 徳川家定 14位 37.7%
家定のやったことと主な出来事
- 1853年
- 征夷大将軍就任
- 1854年
- 黒船再び来航
- 1854年
- 日米和親条約締結
- 1858年
- 死去 享年35歳
三代将軍家光から始まった「鎖国」がペリーにより終わりを告げる。諸外国と条約を締結するが日本に不利な不平等条約であった。
十四代将軍 徳川家茂 10位 41.9%
家茂のやったことと主な出来事
- 1858年
- 征夷大将軍就任
- 1858年
- 日米修好通商条約締結
- 1858年
- 安政五カ国条約
- 1860年
- 桜田門外の変
- 1862年
- 生麦事件
- 1864年
- 禁門の変(蛤御門の変)
- 1864年
- 第一次長州征伐
- 1866年
- 第二次長州征伐
- 1866年
- 死去 享年21歳
倒幕派が実力行使を行い、武力衝突が始まった徳川幕府最大のピンチ。第二次長州征伐のなか、家茂は永遠の眠りについた。
十五代将軍 徳川慶喜 7位 50.1%
慶喜のやったことと主な出来事
- 1866年
- 征夷大将軍就任
- 1867年
- 大政奉還
- 1867年
- 征夷大将軍辞職
- 1868年
- 戊辰戦争
- 1913年
- 死去 享年77歳
十二代将軍家慶のころから将軍にと推され神君家康の以来の英傑とうたわれた慶喜。将軍後見役として徳川幕府をささえていた慶喜が、将軍になり取った道は大政奉還。徳川幕府を終わらせた最後の将軍。
ここで使用している徳川将軍の画像はwikipediaより引用しています。 徳川将軍一覧 最終更新 2019年7月10日 (日) 05:02
徳川幕府と歴代徳川将軍について
徳川幕府は1603年から始まり、1866年までの約265年間続きました。
265年間の間に征夷大将軍に就いた人物は15人。
就任当時の時代背景によって、治世の難易度は大きくことなり、一概にどの将軍が有能・無能と言い切れない面白さがあります。
初代家康公に求められていたのは、戦国の世を切り抜く武力、外交、政治など幅広い能力が求められました。
平和な時代になると、武力よりも経済政策に重きが置かれ、平和な時代が長く続くと、汚職などの清廉さが求められます。
そして徳川幕府の末期になると、国内の混乱に加えて、海外からの圧力などもあり、将軍一人の力でどうこうできる話では無くなっています。
その時代によって悲観こもごものドラマがあったと思いますが、後世の人間として俯瞰してみることができるのが歴史の面白さですね。
日本の歴史を漫画でたのしむ
日本史を覚えるというか、楽しむ一番のオススメはマンガを読むことですね。
日本史を題材にした色々なマンガがありますが、私のオススメはこれ!
風雲児たち みなもと太郎著
超長期連載で、現在も連載中の大河マンガ「風雲児たち」。
徳川政権の誕生からず~っと書き続けられている日本史が詳しく学べるマンガ。
1979年から連載(出版社の変更などはあるが)されているマンガなので、最初の1巻の画風やタッチなどで好みがあるかもしれませんが、読んでいけば全然気にならなくなりますので、読んでみてほしいマンガです。
表紙の絵と、マンガの絵は別物なのでご注意ください!
こちらが風雲児たちの幕末偏。
最新刊では、坂本龍馬と勝海舟が出会うところまでが描かれています。(2020年9月現在 34巻)
有名な人物だけではなく、教科書には出てこない重要人物などが丁寧に描かれており、新しい発見がある面白いマンガです。
お~い竜馬 小山ゆう(作画) 武田鉄矢(原作)
土佐の坂本龍馬を描いた「お~い竜馬」。
坂本龍馬がなにをやって、なにを考えていたのかが追える面白いマンガです。
幕末を舞台にしているので、その当時に何が起きていたのかなど、各藩の対立や、藩主の立場、倒幕に向かった理由などが楽しめるマンガです。