徳川幕府の歴代将軍の知名度をランキングにしてみました

徳川幕府の歴代将軍の知名度をランキングにしてみました

歴代徳川将軍 知名度ランキング

#195 徳川将軍ランキング

歴史・社会

徳川幕府の歴代将軍を、徳川将軍クイズの正答率順にランキングしました。 No1は初代「徳川家康」だと予想できますが、以後歴代将軍の知名度はいかに! 教科書や大河ドラマで取り扱われる徳川将軍ほど上位にランキングされ、顕著に差が出ています。

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徳川将軍知名度ランキング

このサイトにある「歴代徳川将軍クイズ」の回答結果から、歴代徳川将軍の知名度をランキングにしてみました。
ランキングはクイズの結果に応じてリアルタイムで変動します。

順位標識名称没年齢正答率
1位徳川 家康(いえやす)1代将軍75歳80.2%
2位徳川 家光(いえみつ)3代将軍48歳61.9%
3位徳川 秀忠(ひでただ)2代将軍54歳60.7%
4位徳川 綱吉(つなよし)5代将軍64歳55.3%
5位徳川 吉宗(よしむね)8代将軍68歳50.2%
6位徳川 家綱(いえつな)4代将軍40歳48.8%
7位徳川 慶喜(よしのぶ)15代将軍77歳47.5%
8位徳川 家宣(いえのぶ)6代将軍51歳39.6%
9位徳川 家継(いえつぐ)7代将軍8歳39.3%
10位徳川 家茂(いえもち)14代将軍21歳39.3%
11位徳川 家重(いえしげ)9代将軍51歳36.5%
12位徳川 家斉(いえなり)11代将軍69歳36.2%
13位徳川 家定(いえさだ)13代将軍35歳35.3%
14位徳川 家治(いえはる)10代将軍50歳35.2%
15位徳川 家慶(いえよし)12代将軍61歳32.6%

徳川幕府の創始者の「家康」がぶっちぎりで1位ですね。
二代秀忠よりも三代家光の方が有名と言う、秀忠涙目の結果になっています。

暴れん坊将軍で有名な八代将軍吉宗が続くと思いきや、4位に五代将軍の綱吉がランクイン。
生類憐みの令の力でしょうかね。

そのあとは最後の将軍慶喜が入りまして、あまり有名でない将軍が続き、一番正答率が低いのが十二代将軍の家慶となりました。

※2020年9月現在

徳川将軍の名前を答えるクイズはこちら

ランキングのもとになっている徳川幕府の歴代将軍を答えるクイズはこちらです。

歴代徳川将軍を紹介します

ランキングの発表は終わったのですが、せっかくなので徳川将軍を紹介したいと思います。

初代将軍 徳川家康いえやす 1位 80.2%

初代徳川将軍 徳川家康

家康のやったことと主な出来事

1603年
征夷大将軍就任 徳川幕府創設
1605年
征夷大将軍退任し秀忠に譲る
1614年
大阪冬の陣
1615年
大阪夏の陣
1615年
一国一城令を発布
1615年
武家諸法度、禁中並公家諸法度制定
1616年
死去 享年75歳
徳川幕府開幕

徳川幕府の創始者で、徳川将軍の中でも一番有名。
戦乱の時代を終わらせ、その後270年続く徳川政権を築いた。

二代将軍 徳川秀忠ひでただ 3位 60.7%

2代徳川将軍 徳川秀忠

秀忠のやったことと主な出来事

1605年
征夷大将軍就任
1615年
武家諸法度、禁中並公家諸法度制定
1620年
五女の和子を後水尾天皇へ嫁がせる
1632年
死去 享年54歳
徳川幕府を継し者

徳川家康から征夷大将軍を引き継ぎ、これにより征夷大将軍は徳川家の世襲性であることを決定づけた。

三代将軍 徳川家光いえみつ 2位 61.9%

三代将軍 徳川家光

家光のやったことと主な出来事

1623年
征夷大将軍就任
1635年
参勤交代制定
1637年
島原の乱
1639年
鎖国を完成
1651年
死去 享年48歳
参勤交代 WITH鎖国

外様大名の勢力を削ぐ目的で参勤交代を行い、徳川政権の反乱分子になりえるキリスト教の禁止(島原の乱が決定的とも言われている)などの理由から鎖国を完成させる。

四代将軍 徳川家綱いえつな 6位 48.8%

四代将軍 徳川家綱

家綱のやったことと主な出来事

1651年
征夷大将軍就任
1651年
末期養子禁止の緩和
1663年
殉死の禁止
1665年
諸宗寺院法度、諸社禰宜神主法度制定
1680年
死去 享年40歳
武断政治から文治政治へ

徳川幕府も4代続き、戦もほとんどなくなり、武による政治から、法律や学問を重視する文治政治への転換期となった。

五代将軍 徳川綱吉つなよし 4位 55.3%

五代将軍 徳川綱吉

綱吉のやったことと主な出来事

1680年
征夷大将軍就任
1687年
生類憐みの令制定
1690年
湯島聖堂完成
1695年
金銀貨幣を改鋳(元禄金銀)
1709年
死去 享年64歳
命を大事に!生類憐みの令

悪法と名高い生類憐みの令だが、命の大切さを説き、綱吉以前と以後で倫理観に大きな影響を与えた法である、との再評価もされている。人と時代によって評価が大きく異なる将軍。

六代将軍 徳川家宣いえのぶ 8位 39.6%

六代将軍 徳川家宣

家宣のやったことと主な出来事

1709年
征夷大将軍就任
1709年
生類憐みの令廃止
1709年
宝永通宝の流通、酒税を廃止
1712年
死去 享年51歳
生類憐みの令廃止!

先代の綱吉に生類憐みの令の継続を託されたが、「生類憐れみの禁令に触れ罪に落ちた者は数知れない。私は天下万民のためにあえて遺命に背くこととする」とのこと。

七代将軍 徳川家継いえつぐ 9位 39.3%

七代将軍 徳川家継

家継のやったことと主な出来事

1713年
征夷大将軍就任
1714年
絵島・生島事件
1715年
海舶互市新例 発布
1716年
死去 享年8歳
史上最年少将軍

史上最年少(3歳)で征夷大将軍に就任するも、8歳(満年齢で言えば6歳)で死去。政務は当然のことながら側近の間部詮房と新井白石の2名が主導していた。

八代将軍 徳川吉宗よしむね 5位 50.2%

八代将軍 徳川吉宗

吉宗のやったことと主な出来事

1716年
征夷大将軍就任
1720年
江戸町火消しいろは四十八組設置
1721年
目安箱の設置
1722年
上米(あげまい)の制、定免(じょうめん)法 制定
1722年
小石川養生所設置
1723年
足高の制 導入
1725年
口米永代蔵令
1728年
五公五民制の導入
1735年
田方勝手作仕法
1736年
元文金銀の鋳造
1742年
公事方御定書制定
1745年
将軍職を家重に譲り 大御所に
1751年
死去 享年68歳
中興の祖 享保の改革

徳川中興の祖と名高い吉宗。質素倹約に励み幕府の財政状況の改善を行い、庶民の味方と称される反面、税金の値上げや米相場の介入などを行う。

九代将軍 徳川家重いえしげ 11位 36.5%

九代将軍 徳川家重

家重のやったことと主な出来事

1745年
征夷大将軍就任
1754年
郡上一揆
1754年
木曽三川の治水事業を薩摩藩に命じる
1758年
宝暦事件
1760年
将軍職を家治に譲り 大御所に
1761年
死去 享年51歳
大岡忠光との二人三脚

言語不明瞭だった家重の言葉を理解できたのは側近の大岡忠光ただ一人。その忠光が死去すると家重は将軍職を辞任する。

十代将軍 徳川家治いえはる 14位 35.2%

十代将軍 徳川家治

家治のやったことと主な出来事

1760年
征夷大将軍就任
1772年
南鐐二朱銀の導入
1782年
印旛沼・手賀沼 干拓開始
1785年
蝦夷地開発
1786年
死去 享年50歳
松平武元と田沼意次の存在

吉宗から聡明と評され、その手腕が期待された家治だったが、幕政は有能な側近に任せ、趣味に没頭する日々を送った。これを無能と評すか有能と評すかで評価が分かれる。

十一代将軍 徳川家斉いえなり 12位 36.2%

十一代将軍 徳川家斉

家斉のやったことと主な出来事

1787年
征夷大将軍就任
1789年
尊号一件(尊号事件)
1790年
寛政異学の禁 発令
1805年
関東取締出役 設置
1806年
薪水給与令(しんすいきゅうよれい) 発布
1808年
フェートン号事件
1825年
異国船打払令 発布
1837年
大塩平八郎の乱
1837年
将軍職を家慶に譲り 大御所に
1841年
死去 享年69歳
異国の脅威と55人の子供たち

幕政は側近に任せ、跡取りを残すことに励んだ。財政状況をかえりみず、贅沢に過ごしたせいで幕府は財務破綻に向かうが、その贅沢な暮らしが「化政文化」を生んだとも言われている。

十二代将軍 徳川家慶いえよし 15位 32.6%

十二代将軍 徳川家慶

家慶のやったことと主な出来事

1837年
征夷大将軍就任
1842年
天保の薪水給与令 発令
1843年
人返しの法 発令
1853年
黒船来航
1853年
死去 享年61歳
黒船襲来!激動の時代と共に

先代の家斉の散財から倹約令を出すが天保の改革は失敗。海外からの脅威は日増しに増していく中、浦和に黒船に乗ったペリーが現れ(6月3日)、その19日後(6月22日)に死去。

十三代将軍 徳川家定いえさだ 13位 35.3%

十三代将軍 徳川家定

家定のやったことと主な出来事

1853年
征夷大将軍就任
1854年
黒船再び来航
1854年
日米和親条約締結
1858年
死去 享年35歳
鎖国が終わり倒幕が始まる

三代将軍家光から始まった「鎖国」がペリーにより終わりを告げる。諸外国と条約を締結するが日本に不利な不平等条約であった。

十四代将軍 徳川家茂いえもち 10位 39.3%

十四代将軍 徳川家茂

家茂のやったことと主な出来事

1858年
征夷大将軍就任
1858年
日米修好通商条約締結
1858年
安政五カ国条約
1860年
桜田門外の変
1862年
生麦事件
1864年
禁門の変(蛤御門の変)
1864年
第一次長州征伐
1866年
第二次長州征伐
1866年
死去 享年21歳
苛烈で過酷な徳川幕府の末期

倒幕派が実力行使を行い、武力衝突が始まった徳川幕府最大のピンチ。第二次長州征伐のなか、家茂は永遠の眠りについた。

十五代将軍 徳川慶喜よしのぶ 7位 47.5%

十五代将軍 徳川慶喜

慶喜のやったことと主な出来事

1866年
征夷大将軍就任
1867年
大政奉還
1867年
征夷大将軍辞職
1868年
戊辰戦争
1913年
死去 享年77歳
争いを避けた最後の将軍

十二代将軍家慶のころから将軍にと推され神君家康の以来の英傑とうたわれた慶喜。将軍後見役として徳川幕府をささえていた慶喜が、将軍になり取った道は大政奉還。徳川幕府を終わらせた最後の将軍。

ここで使用している徳川将軍の画像はwikipediaより引用しています。 徳川将軍一覧 最終更新 2019年7月10日 (日) 05:02

徳川幕府と歴代徳川将軍について

徳川幕府は1603年から始まり、1866年までの約265年間続きました。
265年間の間に征夷大将軍に就いた人物は15人。

就任当時の時代背景によって、治世の難易度は大きくことなり、一概にどの将軍が有能・無能と言い切れない面白さがあります。

初代家康公に求められていたのは、戦国の世を切り抜く武力、外交、政治など幅広い能力が求められました。

平和な時代になると、武力よりも経済政策に重きが置かれ、平和な時代が長く続くと、汚職などの清廉さが求められます。

そして徳川幕府の末期になると、国内の混乱に加えて、海外からの圧力などもあり、将軍一人の力でどうこうできる話では無くなっています。

その時代によって悲観こもごものドラマがあったと思いますが、後世の人間として俯瞰してみることができるのが歴史の面白さですね。

日本の歴史を漫画でたのしむ

日本史を覚えるというか、楽しむ一番のオススメはマンガを読むことですね。
日本史を題材にした色々なマンガがありますが、私のオススメはこれ!

風雲児たち みなもと太郎著

超長期連載で、現在も連載中の大河マンガ「風雲児たち」。
徳川政権の誕生からず~っと書き続けられている日本史が詳しく学べるマンガ。

1979年から連載(出版社の変更などはあるが)されているマンガなので、最初の1巻の画風やタッチなどで好みがあるかもしれませんが、読んでいけば全然気にならなくなりますので、読んでみてほしいマンガです。

表紙の絵と、マンガの絵は別物なのでご注意ください!

風雲児たち 1巻 (SPコミックス)

風雲児たち 1巻 (SPコミックス) #457

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こちらが風雲児たちの幕末偏。
最新刊では、坂本龍馬と勝海舟が出会うところまでが描かれています。(2020年9月現在 34巻)

風雲児たち 幕末編 1巻

風雲児たち 幕末編 1巻 #458

518円 (税込)(Amazon参考価格)

有名な人物だけではなく、教科書には出てこない重要人物などが丁寧に描かれており、新しい発見がある面白いマンガです。

お~い竜馬 小山ゆう(作画) 武田鉄矢(原作)

土佐の坂本龍馬を描いた「お~い竜馬」。
坂本龍馬がなにをやって、なにを考えていたのかが追える面白いマンガです。

幕末を舞台にしているので、その当時に何が起きていたのかなど、各藩の対立や、藩主の立場、倒幕に向かった理由などが楽しめるマンガです。

お~い!竜馬(1) (ヤングサンデーコミックス)

お~い!竜馬(1) (ヤングサンデーコミックス) #456

693円 (税込)(Amazon参考価格)

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