今日で休みが終わるという現実逃避
2016年の終わりから始まった年末年始休暇が今日で終わってしまうという現実。休みが始まる前から今日で終わることはあらかじめ決められていたわけだけど、嫌なものです。
やりたいことがたくさんあって、何からやろうかと思っているうちに休みが終わる。やりたいことはたくさんあるけど、やらなければいけないことじゃないからやらないままで終わってしまうこともたくさんある。
最近、良い音楽とたくさんであって、聞きたい音楽がたくさんある。見たい映画も溜まっているし、見たいアニメもドラマもいっぱいある。読みたい本も溜まっているし、ブログで色々書きたいとか、WEBサイトの更新をしたいとか。
だからと言って、忙しくて時間がないかというと、そうでもなく、ぼーっとして過ぎていく時間もたくさんある。
やりたいことをスケジュール通りに進めようとすると、やりたいことじゃなくなってしまう気がして手を付けずにいるのだけれど、やりたくないわけじゃないからその気になったらそのタイミングで行動に移す。これが結構楽しかったりするのです。
そんなことを考えながら、イヤホンを耳に突っ込んで、目をつむっていた。
聞きたい音楽を聞きながら、眠るわけじゃなく何かを考えるでもなく、ゆるゆると時間を過ごす。
そんな時間がとても贅沢に感じられた。
眠気に襲われるというよりもいざなわれる感じで、意識がなくなりそうになる瞬間に、脳が目覚めて少しだけ心拍数が上がるのを感じる。無意識と有意識の狭間が本当に心地よかった。
まぶたを閉じているから目の前に広がる景色は暗闇なのに、その瞬間だけ目の前が白く感じる。
脳みそから、脳下エンドルフィンだか、ドーパミンだか、脳内モルヒネだか、ノルアドレナリンだか、よくわからないけどそういうものが分泌されている気がする。座椅子のリクライニングを斜め45度より少し緩めに設定して本当にぼーっとしてた。こたつに身をゆだねながら。
心の持ちようで日常の彩りはいくらでも変わるんだろう
幸せというほど大げさなものではないだけれど、こういう時間っていうのは、そういう時を過ごしているということに対してどれだけ素直に受け入れられるかによって決まるもんだと思うんです。
どんなに些細なことでも感謝の気持ちというとすこし気持ち悪いけど、「いい時間をすごしているなぁ」と思えるだけで、同じ時間を過ごすのであっても、ものの価値が全然変わってくるわけで。
言葉にするとただぼーっと音楽を聞いているだけで、他人からしたらぐだぐだと時間を浪費しているやつだと思われるかもしれないけど、当の本人はものすごく心地よい幸せな時間を満喫していたわけで。そしてそれを自覚していて、こんな文章を書くほどに尊い時間だったと感じているんですよ。
そういうなんでもない時間を有意義に感じられる感受性をもっともっと磨いて過ごしていきたいと思う2017年。あー仕事やだなぁ。