ベンジャミン・バトン
いつごろからか忘れてしまいましたが、洋画を見る時は基本的に吹替版を見るようにしています。字幕を追いながら映画を見るのが好きじゃないんです。物語に集中できないし、声優さんお上手ですから、二択だったら基本的に吹替版を選びます。
そんな洋画の中から「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」をみました。吹き替え版で。生まれたときが老人でどんどん若がえっていくという物語。実話かどうか気になって調べたらもとは短編小説ということでフィクションでした。そりゃそうだ。
ベンジャミン・バトンの「バトン」は人の名前であって、別にリレーで物語を紡いでいくというわけではなかった。
おばあちゃんの思い出話からスタート
物語の始まりは病院の一室。今にも死んでしまいそうなおばあちゃんが娘を相手に昔話を語りながら回想シーンへと流れていく。おばあちゃんはブラッドピット演じる主人公の元恋人。ブラッドピット演じるベンジャミンは生まれながらにして老人の姿で生を受け、皮膚はしわしわ、醜い姿で生まれ、出産時に母親とは死別し、その容姿から父親には捨てられる。
医師には長くは生きられないと言われながらも、拾われた老人施設で元気に育っていく。
成長するにつれ若返っていくわけですが、10歳くらいのころには見た目は70歳くらい。精神というか実年齢は10歳。そのギャップが故の悩みやおかしさを楽しむ映画、といったところでしょうか。
若返りも老化もいつかは死ぬという点においては同じこと
普通の人間は若く生まれて年老いて死んでいく。それがふつう。それが逆転したらどうなるか。
ベンジャミンは生まれた頃こそ体が不自由でしたが、その後は普通に動き回り、恋愛もするし結婚もします。子供を授かるもどんどん若がえっていく自分の将来に不安を覚え、子供と奥さんを残してどこかに行ってしまいます。
子供にとってどんどん若がえっていく自分(父親)に自信が持てなく、奥さんにとっては子供になっていく自分が重荷になることへの不安から。最終的に見た目は子供、頭脳はぼけ老人、というなんとも言えない姿になっていきます。
若返っていくことに対するあこがれというか、うらやましさを感じる時もありますが、時を止めるわけではないので、人が感じる老いへの恐怖ではなく、子供になっていってしまう自分への不安。どんな感覚なんでしょうね。
何かが心に残ったというよりも、一人の人間の一生を追っかけた映画で、設定の不可思議さと、妙なリアリティがあり、冒頭に記した通り、実際にこういう病気があるのかなと気になりました。
見終わってから1週間くらい経過して、これを書いているのですが、なんかあんまりこれという感想が出てきません。ほかの人のレビューを見ると本当の愛とはなんなのかを考えさせられた、と書いてありました。そういう話だったのか。
思い返すと、設定が特殊なストーリーでとんがった何かがあった話ではなく、割と淡々としたストーリ展開に、恋愛要素とちょっとした哲学のような、もしもこうだったら、という誰かの妄想を映像化したような映画です。つまらないわけじゃなく、心が動くなにかがあるわけでもない。なんだかふわふわした映画です。
映画の中でベンジャミンが語るシーンが多々あるんですけど、そこが詩的で、原作の小説の言い回しなんでしょうかね、きれいな言葉で心地よいです。ブラッドピットの老人の特殊メイクが特徴的のように言われますが、この語りと言い回しが一番心に残っているかも。
いつもの行動のどこかのタイミングが1つだけでもずれていれば、こんなことは起こらなかっただろうというシーンの語りが谷川俊太郎の「朝のリレー」を思わせます。
物語は2時間40分と長めのお話なんですが、通勤時間や隙間時間を利用していみると長い映画もきになりません。見る前はなげぇなぁと思ってたんですけどね。都合の良い時に話の途中から気軽にみられるのがいいです。