静岡県 家族旅行三日目 静岡お城廻 駿府城→掛川城→浜松城
静岡県 家族旅行三日目。本日のスケジュールは以下の通りです。静岡県にある駿府城、掛川城、浜松城の3城を巡ります。
まずは、駿府城から浜名湖まで西に向かいます。
家康公が大改修して大きくなった駿府城
静岡に行こうと思ったきっかけの駿府城にいよいよ向かいます。
駿府城は宿泊したアセントプラザホテルから近く4km先にありました。駿府城公園付近の駐車場が分かりづらくお城の周りを3周くらいしました。公園専用の駐車場はないので、近くの体育館の有料駐車場に駐車しました。
駿府城。静岡家族旅行計画編でも書きましたが、私の愛読書である隆慶一郎さんの作品「影武者徳川家康」に登場する駿府城。来たかったんですよね。ここで世良田二郎三郎と島左近と六郎が、徳川秀忠と戦ったんだなぁと。
そんな駿府城ですが、天守閣は現代には存在せず、三重のお堀の一部は埋め立てられておりますが、ちょろちょろと昔の趣(おもむき)を感じられる風景があります。
先に写真で紹介している門と石垣は1996年に再建された物ですが、お堀と石垣は当時とさほど変わらぬ風景ではなかろうかと思います。
公園内は広く広場のようになっていて、要所要所にやぐらや石垣に囲まれた公園です。園内には家康公の像があったり、家康公の手植えのミカンの木などがあります。
鷹狩が好きだった家康公を慮ってか、左手に鷹がいますね。お城が残っていたらさぞ立派だったんでしょうね。一説によると江戸城の天守よりも立派だったとか。駿府城公園に書いてあったんですが、天守閣を作る天守台と呼ばれると土地の大きさが日本で最大だったと。但し、実際に建てられた天守はそこまで大きなものではなかったといわれています。
その天守台は明治時代に埋め立てられてしまったのですが、現在発掘調査を行っております。
戦争のために作られた城が、明治時代に陸軍歩兵連隊の用地となって埋め立てられて、平和な平成の時代に掘り起こされるという、なんだかおもしろい時代の流れですね。
こんな感じで駿府城跡地を楽しんだ後、次は掛川城へ向かいます。
静岡餃子を食べようとおもっていたのですが…
駿府城を見終わって、静岡餃子を求めて、車を走らせていたんですけどね。水曜日。餃子の福みつさん、お休みらしい。。静岡餃子のお店の多くは水曜日がお休みが多いらしい、です。
他にも有名なお店はあるので、色々車で探してみたんですが、駐車場が無かったり、満員だったり、すでにお昼時間を過ぎていたせいで終わってしまったり。食べ損ねました。。
ちなみに静岡餃子にはこれといって定義があるわけでなく、静岡で餃子を食べればそれで静岡餃子なんだとか。そんなわけで餃子はあきらめて掛川城へ向かいました。
二の丸御殿と掛川城
掛川といえば「シュート」というサッカー漫画で出てきたサッカーが盛んな土地というイメージがありますね。他にも掛川茶の生産地であり、道すがら茶畑がいくつか見えました。
掛川城は復元天守が存在しているので、城に来た感がありますね。ちなみに復元するのに11億円ほどかかったそうです。個人資産で11億円くらい払えるお金持ちならたくさんいそうだから、もっとお城を再建してほしいぜ。観光資源として悪くないと思うんですが、投資対効果で考えるとそんなに良くなさそうだから無理かな。
天守閣があるとかっこいいですよね。写真映えする。
この掛川城は天守以外にも二の丸御殿が残っていまして、そちらも見学できます。御殿は1861年に再建されたものがそのまま残っており、昔ながらの趣が感じられる建物です。
二の丸御殿の中も昔と変わらない、御殿の作りとなっております。
御殿から庭に出て掛川城を眺めると、「庭園と城」といういい写真が撮れます。
庭の緑と城の白。夏空の青さが良い。
御殿を堪能した後、天守閣へ向かいます。
天守閣に登って街並みを眺めると、殿様気分を味わえます。掛川城の天守からの風景は、方面によって印象が変わるのですが、あまり高いビルのない川沿いの景色が好きです。
高いところから街を見渡して、庶民の暮らしを眺めるのはどんな気分なんでしょうね。掛川城から見える景色は平和そのものでした。
掛川城の城主は色々変わっているわけなんですが(掛川城に限らずですが)代々所有した城主の中で、一番有名な人の城として紹介されることが多いです。で、こちらの掛川城は「山内一豊」の城だったと紹介されることが多いです。
山内一豊と言えば、最終的には高知県(土佐藩)の城主なんですが、秀吉に仕えていた1590年に入城。一豊が城の改修、整備を行い、天守閣を築いたそうです。
坂本龍馬好きの人には山内一豊は人気なさそうですが、世間では内助の功で有名な山内一豊さんですね。
浜松城の前に可睡斎(かすいさい) 風鈴まつりに立ち寄り
掛川城へ向かう前に奥さんから「可睡斎(かすいさい)」というお寺でやっている風鈴祭りを見たい、リクエストがあったので、そちらに立ち寄りました。
「可睡斎」という読み方も良くわからないお寺ですが、この由来は、家康が浜松城の城主に成ったおりに、浜松城へお寺の和尚さんを招いたところ、和尚さんが居眠りをしたそうで、それを見た家康が、咎めることなく、「和尚我を見ること愛児の如し、故に安心して眠る、我その親密な情を喜ぶ、和尚眠る可し」と言ったそうで、それ以来その和尚さんは「可睡和尚」と呼ばれたそうです。それにちなんで今ではお寺の名前が「可睡斎」と。
会議中に居眠りしたら普通に怒られるよなぁ。家康さんは優しいですね。
夏の風物詩「風鈴」を集めた風鈴まつり。インスタ映えする風景ですね。
観光客の方の多くもカメラ片手にいろいろなアングルでパシリパシリと写真を撮っていました。当然私も。
ただ、風鈴が並んでいるだけなんですが、写真を撮りたいという衝動にかられます。なんでなんですかね。ただ風鈴が並んでいるだけなんですよ。何なら風鈴じゃなくてもいいような気もします。規則的に風物詩的なオブジェが数多く並んでいると人は写真を撮りたくなるんでしょうかね。
可睡斎の後は浜松城へ 野面積みの石垣
可睡斎の風鈴祭りを楽しだ後は、浜松城に向かいます。
浜松城は徳川家康が築いた城(1570年築城)で、三方ヶ原を抑えるための拠点として築いたそうです。武田信玄とバチバチやっていた時に作ったお城。
三方ヶ原の合戦と言えば、徳川家康が武田信玄にボコボコにされて帰ってきたときにうんこを漏らして、その時の顔を絵師に書かせた、というのが有名なエピソード。
うんこを漏らした顔じゃなくて、自戒の念を込めて書かせたのに、うんこを漏らしたことのほうが有名なっている現代。うんこのもつ破壊力をまざまざと見せつけられますね。「これは焼き味噌じゃ」と言い訳していたのに、脱糞したことになっているのはやっぱりそういうことだったのかな。
浜松城を見て最初に抱く感想は、石垣がほかの城と違う。大小の石が入り乱れており、あまり見たことのない石垣になっています。
これは野面積みという石垣の工法だそうで、自然石を組み合わせて築く石垣。自然石というのは形を整えない状態でそのまま積んでいくという意味です。石を切って形を整えて作るのが、よく目にする石垣で、千葉県の鋸山は石切り場としても有名ですね。
天守閣まで登ってみると、金網が設置されていてちょっと残念。
安全面を考慮してなんでしょうが、やっぱり金網は無粋です。これ嫌い。
天守閣に登って殿様気分を味わいたいのに、金網を設置するのは違うんですよ。私が城主だったら金網を設置した家臣を咎めますよ。何のために天守閣作ったのかわかってんのか?高いところから見下ろすのがいいのに台無しじゃないかと。
安全にうるさい現代の産物ですね。安全に対して万全にするから、危機感が損なわれていくんじゃないか。
この浜松城に徳川家康は17年間(29歳~43歳まで)在籍していたそうで、城内には若き日の家康公の象がありました。
こんな感じで静岡県の駿府城、掛川城、浜松城の3城を巡りました。
予定ではこの後、龍潭寺に行く予定だったんですが、時間もそこそこだったのと、「井伊直虎」はそんなに見てなかったので(龍胆寺は井伊直虎とゆかりがあるお寺)ホテルに向かうことにしました。
三泊目のホテルはホテルグリーンプラザ 浜名湖
浜名湖湖畔にある「ホテル グリーンプラザ 浜名湖」に宿泊しました。ちょっとお高めな宿にしたんですが、宿泊費の金額の有意差って、支払いに対する期待感と必ずしも一致しないもんですね。
簡単に言うと多少高めのホテルに宿泊しても、こちらが思っているほど豪華なランクにはならない。値段のランクをぐーーっと上げると多分一致するんでしょうが、同じような価格帯の中の高めなホテルでは、そこまで高級感を感じるわけではないですね。
ホテルが良くなかったような書き出しになりましたが、普通に良かったです。ご飯も美味しくてレイクビューなお部屋で。
ちょっと贅沢なホテルを取った(そこまで高くないんですけども)つもりだったけど、星野リゾートやミラコスタみたいなことにはならないということで。
こちらのホテルがこの旅最後のお宿です。温泉に入ってご飯を食べて、花火をして最後の夜を堪能しました。
ホテルの敷地内で花火ができる場所があり、ホテル内に花火が売っていて、バケツなども貸してくれました。すぐに終わっちゃいましたけど楽しかったです。
花火をしながら家族旅行もあと何回これるのかと考えたりもしますが、子供が親離れしてくれたらそれはそれで楽しみがあるので、「この時がずっと続けばいいのに」という人並みの子供を持つ親のような感想は抱かず、子供が親離れしたら全国城廻をしようと計画しています。
今の状況を全力で楽しむ。未来を憂いて不安にならない。それが一番。
3日間を振り返ると、夕食と朝食が全部バイキング(2日目はさわやかだけど)で、全力で食べたのに加えて、不摂生がたたり、体重が生涯最高記録となり、ダイエットを始めるのだが、それはまた別の話。